1999/5/4
標高 1915m

大峰山の登山地図は3を0年前に買ったのだが、ずうっと登れずにいた。今回、この古い地図の埃をはらって出かけることにした。

女人結界門 


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登山地図というと昭文社の「エリアマップ山と高原地図」を使っているのだが、その大峰山の地図を持っている。
但し1971年発行のもので、今から30年前のものだ。今の登山地図は化学樹脂でできていて破れにくくなっているが、昔の地図は本当に紙で、少し使うと折れ目から破れてくる。その地図がずうっと30年もの長い間、私の書棚に収まっているのだ。
この地図を買ったのは大阪に住んでいたときで、大台ケ原山に登って、次は大峰山を目指そうとして買ったものだった。
大峰山は、どうせ登るのなら全山縦走をしたいと考えていた。
これは吉野から熊野まで続く長大な山脈を歩くことになる。そのプランを何度か建てたのだが、結局、登れないままに長野県松本に転勤になってしまった。
以来、30年間この地図は書棚で埃をかぶっていた。
大峰山といえば修験道の山で、今から1300年前、奈良時代に役行者が開基したという。
そして今でもなお、女人禁制が守られている山である。
30年来の憧れの山、大峰山にこの5月連休に登ることにした。
栃木県から車で出かけることにした。車で行くのだから、全山縦走というわけにはいかなくて、同じ登山口に戻って来なければいけない。
そこで今回の登山コースは次のように決めた。

洞川─→山上辻─→稲村ガ岳 (往復)─→山上ケ岳─→小笹宿()─→大普賢岳─→行者還岳─→一ノタオ─→弥山()─→八経ケ岳─→狼平─→栃尾辻─→川合

23日の行程である。
このために新しくテントを買ってしまった。ダンロップのVLシリーズの2人用。このテントはともかく軽い。フライシートとペグまで含めても1.5kgしかないのだ。
準備を整えて、53日、栃木県小山市を夜の9時に出発した。
持った登山地図は、もちろん30年前に買ったものだ。
洞川というのは大峰山登山の入り口にあたるところで、門前町である。車で走っていくとお土産屋さんが並んでいて、それを通り過ぎてさらに行くと神泉閣というお寺の立派な門がある。道はここで行き止まりになってしまった。
しかたがないので少し引き返して、杉木立の中の路肩に車を停めた。駐車違反で捕まるかな、とちょっと心配。

テント、シュラフ、3日分の食料を詰めたザックは重い。
しかし、30年来の憧れの山に登るのだ。けっこう張り切っている。
さっきの突き当たりの神泉閣まで行くと、その少し手前の右に登山道の入り口があった。
その入り口に大きな立て看板が立っている。
読んでみて驚いた。
そこには、大峰山は今も女人禁制を守っていて、一部マスコミで女人禁制が解禁されたと報道されたが、それは誤りだ、と書かれていたのだ。
私は、実はこの看板を見るまで女人禁制の山がまだあるなんて、思ってもみなかった。30年前に大峰山を登ろうとして調べたとき、確かに女人禁制の山だったと記憶していたが、よもやそれがまだ堅持されているとは、驚き以外の何物でもない。
すげえ、と思いながら登山道に入っていくと、前を若いカップルが歩いている。
おいおい、ここは女人禁制ではないのか、と声をかけたくなった。(あとで判ったが、女人禁制は山上ガ岳の大峰山寺の周辺だけで、稲村ガ岳の登山はかまわないのだ)
715分に歩き始め、深い杉木立の中を急登する。法力峠でようやく尾根の上に出る。8時半であった。
傾斜は少し緩やかになった。
山上ガ辻に着く。1010分。
ここには「稲村小屋」があって、稲村ガ岳と山上ガ岳のT字路になっている。
右の道をとって、まず稲村ガ岳を目指す。
稜線を歩き始めると、行く手に剣の切っ先のように鋭く切り立った山が見えてきた。これが大日山であった。せっかく大峰山に来たのだから、昔の修験道の山も登っておかなければ、と思って登ることにした。
鎖でよじ登る。
山頂には祠が祭ってあった。けっこう広い。1050分。
ここから30分ほどで稲村ガ岳山頂。
この山は女人禁制ではない。
山頂からは吉野の山々を一望できた。
少し休憩して来た道を引き返す。
山上ガ辻に戻って、そこから30分ほど歩くと木でできた黒門が立っている。
そこには「女人結界の門」と書いてあった。
すごい。いまどきこんなのが許されるのか、と思ってしまう。
この女人結界のあるところがレンゲ峠である。ここから
45分で山上ガ岳。
山上ガ岳というのは実は大峰山寺が建っている場所なのだ。
その宗教的な理由で女人禁制になっているらしい。
寺院に至る少し手前に平らな草原のような所があって、そこの端の小高いところに三角点があった。ここで記念写真を撮った。女人禁制の山上ガ岳に登ったという記録を残す。
大峰山寺は立派な寺院である。境内には修験道の護摩段があったりして、なるほどここが大峰修験道の中心かと納得してしまった。
ここからさらに大普賢岳を目指す。
山上ガ岳から歩いていくと、すぐに道がなくなってしまった。
おかしい、と思って引き返した。でも、この道であっていた。
今日の宿泊予定の小笹の宿に着いたのは240分。
たくさんのテントが張られていて、水も豊富に流れている。
テントを張ろうと思ったが、まだ時間もあるので、水だけ補給してもう少し歩くことにした。
30分ほど歩くと、再び女人結界門があった。ここで女人結界から出ることになる。
さらに15分ほど歩くと、地図にあった「脇宿跡キャンプ適地」に着いた。
30年前の地図で歩いているのだが、地図に間違いはなかった。到着は345分である。
脇宿跡は林の中の平らな場所で、水場はないが十分テントが張れる。ここに野営した。





母公堂


法力峠


山上辻


稲村ガ岳山荘


大日岳が見えてきた


大日岳山頂


大日岳を振り返る


稲村ガ岳山頂


女人結界門


稲村ガ岳、大日岳


山上ガ岳山頂付近


山上ガ岳山頂











小笹宿、ここには泊まらなかった


大普賢が見えてきた


大普賢山頂


大普賢を振り返る


東側は絶壁


七曜岳山頂


行者還小屋

53


登山道のすぐ横にテントを張ったので、朝、登山者が歩く音で目を覚ました。
あわてて食事をして、テントをたたんだ。
今日は大普賢岳を越えて行者還岳を過ぎ、弥山まで行く。
大峰山はさすがに修験道の由緒ある山で、山の名前に仏の名前を持つものが多い。
大日というのは「大日如来」で、密教では曼荼羅の真ん中に座す仏だ。宇宙の中心である。
地蔵は一般にお地蔵様で知られているのだが「地蔵菩薩」である。
そしてこれから登ろうとする普賢とは「普賢菩薩」のことで「文殊菩薩」と対になって釈迦の脇侍となることが多い。
普賢岳の向こうに弥勒岳があるが、これは弥勒菩薩のことで、末法の世、567000万年後にこの世に現れて、衆生を救済するという。ともかく修験道の山には仏の名前が多いのだ。
まず、小普賢岳を越える。たいした登りはなかった。
さらに進むとすぐに大普賢岳。
あまり展望はきかない。
ここから弥勒岳を越えて1時間ほどで国見岳に着く。915分であった。
国見岳は岩峰の頂きで展望はすごい。いかにも修験道の山という感じだ。
このあたり、道の左は大きく落ち込んだ断崖である。迫力がある。
七曜岳まではこの岩稜の道を行く。七曜岳着、935分。
ここから行者還岳を目指すが、登山道は行者還岳のピークを通らずに、左の山腹を巻いて行者還小屋に着く。1110分であった。
ここで大休止。
軽く食事もした。先は長い。
ここから一のタオまでは1時間半。
一のタワに着いたのは130分であった。
一のタオでは方向を西に変えて、一路、弥山を目指す。
3時、聖宝宿に着いた。
聖宝宿には仏像があって、ここで休んでいるひとも多かった。この聖宝宿からの登りはすさまじく急になって、ジグザグに登っていく。けっこうつらい。
ようやくの思いで登りついたところが弥山で、ここには山小屋とキャンプ場がある。
キャンプ場到着は4時。意外と早く着けた。
今日はここにテントを張る。テント場は林の中である。
まだ時間があるので、今日中に八経ガ岳を往復しておくことにした。
片道30分ほどである。
八経ガ岳山頂は450分に踏むことができた。
霧の中であった。視界はきかない。
それでも、ここが大峰山の最高峰ということで大満足感。
うれしい。
テントに帰ってきたのは5時半を過ぎていた。


5月5日

今日は洞川に下る。
天気は良くない。
小雨の中、テントを畳んで6時頃下山開始。
雨なのでほとんどビデオを撮ることができなかった。
川合の登山口に降りてきたのは10時半であった。
登山口は普通の民家の間にあった。
ここから国道に出て、車を置いた洞川までは1時間ほど歩かなければいけないのだ。



天川辻


一ノタオ


石休宿跡


弥山


八経ガ岳山頂


狼平、八剣谷を渡る


栃尾辻


川合の集落が見えてきた


雨の中、川合の登山道入口到着






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kudougao 2001/6/16








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